高校3年の学祭で学級旗班リーダーになったけど、コンテストで勝てなかったときの話 vol.304

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みなさんこんにちは!Kayoreena(@kayoreena1021)です!

今日は久しぶりの「二度寝デー」嬉しすぎる嬉しすぎる(うれしすぎて2回言った)

‥と言ってもですね、時間があるから朝早く起きて、平日の1時間じゃ書けない記事を書きたいなと思っています(^^)

今日は「高校3年の学祭で、学級旗班リーダーになったけど、勝てなかった時の話」をします(^^)

 

Priyanka
なんじゃそりゃw

と思う人は読まなくて大丈夫ですw Kayoreenaのめちゃくちゃリア充だった高校時代の一コマの話です。

 

話は遡って、約10年前。高校3年生の学祭のときの話です。

 

私が所属していた高校は、学祭でクラス対抗のコンテストがあり、3年生は「パフォーマンス部門(クラスごとにダンスの発表がある)」「衣装部門(ダンスに合わせた衣装)」「劇(あんまり覚えてないw)」そして「学級旗」という部門で競います。クラス40名をそれぞれの部門に配属し、ダンスの演出を考えたり、洋服のデザインをしたり、オリジナルの作品を制作していきます。

当時の私が所属していたクラスの特徴は「理系志望の理系男子が集まる3年6組」ということで、確か40人中29人が男子。

イケイケ系の文系は3年1〜3組くらいに集まり、スポーツも勉強もできるハイスペック爽やか系は4〜5組くらいに集まり、6組は皆めちゃくちゃ頭いいガチ理系男子多めクラスでした。

(確か10月くらいのスポーツ大会はうちのクラスが学校内1位だった記憶がある。意外と文武両道。男子多いからスポーツは本気)

なおかつ、私が所属していた吹奏楽部は、学祭が行われる1週間後くらいが吹奏楽コンクールの地区予選だったので、私にとって3年生の学祭は「外から見てます」って言う感じだったんです。

Kayoreena
文系クラスほど盛り上がりもないし、最後の大会に向けてクラリネット練習したかったから

当時の貴重な写真(よくあったな)私チューバ持ってるけど、これは狩野のやつ!ほとんどコミュニティに属さない私が愛してやまないCHU BRASS(函館中部高校のブラスバンドだからCHU BRASS)

「最後の学祭…よりも勉強と部活のほうが大事だから、私は劇班でも所属して、適当にお手伝いしてよう…」と、思っていたのですが

気づいたら「学級旗班のリーダー」になっていたんです。

 

あれ。。。

 

なぜそうなったかというと

①貴重な女子(11名)はほとんどパフォーマンス部門、衣装部門に流れた

②実は、中学時代美術部に所属していた

③1年生のときにもクラスの学級旗班に所属・リーダーをやって、そのときは学年2位になっていた!

④3年6組=男子多い=美術とか無理っす…

→大角班長決定!

 

という流れでした。

確かに、学級旗班の男子メンバー(ほとんど男子しかいなかった)を見てみると「これ誰かが仕切らないとやばいやつや…笑」と思い

うわ、私やりたくないけど、うちのクラスの旗ダメになるのも嫌だな〜…」と、

気づいたら学級旗のリーダーに。

そこから学級旗の制作がスタートしました。

 

学祭までの学級旗制作期間

 

まずは学級旗のデザインから。

 

Kayoreena
デザイン、誰かやってくれる人いませんか〜??

 

…いません。。

 

まあ、そうだよね…じゃあ、、、私??!!

 

デザインなんて、なかなか簡単に思いつくものじゃないんですよ…。当時は受験勉強と、楽器の練習で頭いっぱいの中、何かクリエイティブな発想なんて思いつきもしませんでした(マジで誰かやってって思った)

ですが、クラスのパフォーマンステーマ(=自由への開放みたいなテーマだった!)に合わせて、

過去の有名な画家の美術作品をたくさん調べたり、自分の創りたいイメージを言語に落として(おしゃれとは何か、驚きとは何か、びっくりするとは何か…とか)それぞれの表したい感情をより具体化していきました。

そしてできあがったイメージが

自由の象徴である自由の女神。実はこの像は呪いがかけられていて、本物の女神は像の中に隠れている(青の銅像に封印されている)この銅像の皮が剥がれて、壊れていくことにより、そこから本物の女神(=人間の表情を持った、美しい女性)が現れ、そこに光が注ぎ、本当の自由への世界へ導かれる

という世界観を学級旗で演出しようと思ったんですね(多分皆には伝わらなかったかもw)

日々、デザインは「これがいいかも!」「いや、これは変だな…」の繰り返しで、大きな旗にデザインを落とし込む期限までは毎日旗のデザインについて考えていました。

結果、学級旗のデザインは私のデザインに(やる人がいなかった)

 

デザイン決まり、色塗りスタート!

 

デザインが決まったら次は色塗りです。「美術全然できないっす」的な男子10名くらい集めて、「ここの色はこういう風に塗ってね」とか指示をしていきます。

実際、10人もいるのですが、みんなも同じく部活とか塾とかがあって「今日は色塗り参加できません」って言う人、結構多かったんです。なのでいつも作業は少人数制。3〜5人くらいです。

Kayoreena
私だってクラリネットの練習したいんだけど泣

でも一番イヤなのは、チームの雰囲気が崩れることでした。

学級旗の旗で、学年1位取るぞ!!」的な団結力があるチームでもなく、みんな多分学級旗作ってたことも覚えてないと思うのですがw 私は自分が関わるチームである以上、いい作品を作りたかったし、できれば順位も良いのが欲しかったんです。

そのために大事なことは、一応リーダーになった私が、しっかり指針を見せること、やる気を表すこと、『いい作品を作りたいから協力して欲しい』という想いを伝えることだと思いました。

なので私は、コンクールに向けてのクラリネット個別指導(1回)以外はすべての作業に参加しました。

作業をすすめていくと、それぞれのチームでチーム内衝突っていうのが起こるんです。みんな高校生ですから、それぞれに「こういう風にしたい!」という思いがあって、ぶつかるのが当然です。

でも学級旗チームはそういうのがなかったと思います。

衝突がないように、私はなるべく、みんなの意見を旗に反映していいくように工夫していました。私が作ったデザインであっても「こういう風にしたらいいんじゃない?」という意見がきたら、すべて反映していました(そもそもあまりやる気がないメンバーだったという仮説もありますが)

みんなより少し美術の経験がある私からして「それは違うだろ」っていうのがあったとしても「皆で納得したものをつくる」ことが大事だと考えたんです(あくまで学祭なので)

 

個々のスキルというのは、正直高くはありませんでした。だって男の子だし(性差別じゃないけど)スポーツとかのほうが、みんな好きなんです。「絵とか無理っす」なんです。

3年生にもなると、学級旗のデザインも結構複雑になり、色塗りにも技術が必要です。そうでないと、他のクラスの美術部の子がつくる作品に勝てないからです。でもうちのクラス、技術はない。どうしよう。

まずは出来る範囲からやってもらうことにしました。最初グラデーションはできない。やったことがなければ当然です。だからやり方を教えて、塗りながら練習をしてもらいます。

できるようになったら、少し目立つパートのグラデーションをお願いしてみます。そうやって、みんなの出来る範囲を少しずつ増やしていきました。

Kayoreena
学級旗のメインであった夕陽のグラデーションは、結局だれもスキルが追いつかなくて班長の私がやりました。最後、誰もできなくても自分がやるという覚悟ですね。

 

学級旗チームの人間関係

 

そうやって、日々トライアンドエラーを積み重ね、20時に作業が終わってから速攻部活にいって合奏に参加していました。

次第に、キーパーソンとなる人も出てきました。まずは同じ部活のよしとき。

彼は部活の状況をわかってくれているということと「やるからには勝ちたい」という、私の秘めた思いを理解してくれていました。

そして当時付き合ってたたつかわ君。学祭と勉強と部活の両立が出来ず、イライラしていた私と度々喧嘩しながらも、支えてくれていたし、付き合って1年以上たってたのに、同じ班メンバーの男の子に私が優しくするとちゃんとヤキモチも焼いてくれていました。

確か一回、土曜日の午前中に、学級旗を私の家の車の駐車場まで運び、よしときとたつかわくんと私の3人で色塗りの作業をしたのですが(土曜日の午前は学校での色塗りが禁止されていたものの、完成が間に合わなかったから学校外に持ち出した)

そのときも、よしときにヤキモチを焼いて、後から喧嘩することになりました。よしときはこの展開をわかっていたので「俺のことは呼ばないで」と言われていたのですが、作業の展開はよしときの方が理解していたので必要だったんです。今思うと茶番です(笑)

 

チームのメンバーはみんないい感じで、気づいたら差し入れとかも持ってきてくれるようになりました。学校の近くにある「あおやま」っていう商店から、やっすーいチョコレートの差し入れとかです。

でも私はすごく嬉しかったことを覚えています。

 

学祭前夜、今だから言える強行手段に出る

 

そんなこんな、一見順調そうに見える学級旗制作でしたが、やはり最後にツケがまわってきました。

学祭前夜なのに作品が完成していない。

 

理由は、私が班長をやろう!と覚悟してみんなのエンジンをかけるまでのスタートが明らかに遅かったこと、個人の能力を尊重しすぎて本来到達していなければいけないクオリティまで達していなかったこと、いろいろありました。

ですが、何を言おうと「完成していない事実」…やばい。

学祭前日21時。部活が終わってよしときと「旗、どうしよう?」

 

「たいきの家で書こう!」

 

ということで、たいきくんの家で旗の色塗り作業をすることになりました。

旗って、かなりサイズがでかいのですが、たいきくんの家はめちゃくちゃ広いということで、リビングに旗を広げてもスペースに余裕がありました。

たいきくんとよしときは中学から一緒だったため、関係性も深く、こんな無茶なお願いもご家族が受け入れてくれたんです。

本当は、学校から旗の持ち出しは禁止です(あれ、そういえば土曜日も持ち出してたよね笑)

まして前日だなんて、リスク高すぎる…

 

でも出来てないからしょうがないんです。その日は部活を終えて、絵の具と旗を持ってよしときとたいきくんの家に向かいました。

ついて作業を初めたのは22時位かな?そこから、リアルに3〜4時くらいまで色塗ってた記憶があります。当時高校生の私は「22時から明日の朝までだと、意外と時間あるね」とか思って、更に最後にこだわりをいれていきました。

 

Kayoreena
学祭初日はパフォーマンス(ダンス発表)があるというのに、それよりも旗完成させるのが大事だった。寝不足肌ボロボロ…でも17歳だからカバーできた

 

この「本当はやっちゃいけない秘密の共有」っていうのがすごく楽しかったんです。

クラスのみんなは、明日旗を見たときに、これが前日の深夜に塗って完成されたものだとは気づかないんだろうなって。

何話したかあんまり覚えてないんだけど、女神の手の周りを白いスプレーで塗って、光を演出しよう!っていう方法が、あまりうまくいかなかったことだけは覚えています。うちのお母さんも、私の破天荒に理解を示してくれてすごく感謝です。深夜の4時とかに「お母さん、いま旗終わったんだけど、お風呂入りたいから友達の家にむかえにきてくれる?」的な。ありえないです。

 

そんな感じで、ほぼ徹夜(といいながら2時間位は寝た)状態で3年生の学祭をむかえたんです。

 

学級旗、コンテストの結果

 

無事旗が完成し、クラスのみんなにもお披露目でしたが、みんな、とても上手だと褒めてくれました。私は、一致団結してる学祭の雰囲気の中で、最初は「やりたくないな」と思いながら参加してたのに、皆に「旗、いいね」と声をかけてもらって嬉しさを感じていました。

あとは、旗の成績でした。

1位は無理でも、上位3位には入りたいな〜と思っていましたが、6クラスの旗を一斉に横に並べたときに、私のクラスの旗が暗くてあまり目立たないことに気づきました。

私のクラスの旗は、細部の色の塗り方は勝てると思っていました。でも、あまり細かいところにこだわりすぎて、全体としてはやや暗い印象。5組の旗がすごく派手だったため、一番左にある6組の旗が目立ちにくいなと思ったのです。

物事は個人として輝くことも大事ですが、ライバルが居る時、相対的にどう勝つか、ということもとても大事です。

学祭とはお祭りです。華やかで一瞬で目を引く、派手な柄が目立つんだと、6枚並べたときに気づいたんですね。

 

結果は予想通り、

上位3チームには入れませんでした。

 

敗因はいろいろありました。先程上記に記載した「他と比較する」分析が甘かったこと。技術的な部分もそうですし、チーム全体のレベルも、確かに他のクラスと比較すれば低かったかもしれません。

でも一番は、やっぱり私の中途半端さだったのかなって思いました。

「誰かデザイン出来る人いませんか〜」じゃなくて「私が一番いいデザインを作ってみせる!」くらいの意気込み。「本当は勝ちたいんだ」という気持ちを正面からぶつけて、もっと皆を巻き込むことが大切だったのかもしれない。

思いつくだけでもいろんな反省点がありました。

 

当時の自分なりに、至らない点はあっても、いろんなことを思って作ってきた旗だったから、コンテストも勝ちたかったんです。

 

そんなことを思ってたら、自然と涙を流していました。

 

きっと、私がなんだかんだいって勝ちたいと思っていたことは、よしときやたつかわ君は知っていたと思います。

なんて言われたかは覚えてないですが、いろいろ察して慰めてくれて、せっかく一緒に頑張ってきたのに、泣いてしまってごめんって感じたことは覚えています。

今では、本当に素敵な高校3年生の夏の思い出です。

 

 

私はこの経験を振り返った時、何を学んだんだろう?といつも思いますが、今回、こうやって初めて言語化してみて思ったことがいくつかあります。

・どんなことでも、中途半端にやらない

 

これですね。

一応、当時の私なりには一生懸命やっていたので、だから10年前のことでもいろいろ覚えているんです。未熟さがゆえ、足りなかった部分や反省点も多々あります。でも、本気でやらないとそこにも気づけないんです。

結果、何が正解だったのか、あのチームでやり方を変えれば、本当に勝てたのかわかりません。もう二度と、あのチームで学級旗を書くことはありません。だから本当にわからないままです。

そうなると、過去の経験を持って次に活かしていくしかありません。でも過去に頑張った経験がないと、活かすものすらありません。

一普段口もきかないような男の子たちと、いろいろ和気あいあいと旗を作れたあの時期は、すごくいい思い出です。みつくんとか(名前合ってるかな)すごく筆の使い方が細かいんですよ。だからいろいろ任せちゃって、みつくんが班長やればいいじゃんって思ったときもありました。

そんな気づきも、一緒に熱中しないとわからないんです。

 

たかが学級旗制作。

でも、日常に溢れていることって、学級旗制作のような「他人から見たらどうでもいいこと、でも本人にとってはすごく重要な出来事」だったりするのかなって思います。自分の人生が楽しくないのは、そういう小さなイベントに気づけていないからなのかもしれません。

私はインドでも、当時高校3年生の私のときのように、何か熱中できるものを見つけて、また頑張りたいな〜と思っています。

 

今日はただの私が、学級旗を書いて学祭で負けたというエピソードをお届けしました。笑 大丈夫でしたでしょうか。

それではよい週末を!

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KAYO OSUMI

函館生まれ 北海道大学医学部卒。2016年9月よりインドの現地採用で就業。当時よりインドに進出する日系企業向けに、インド現地の話題やビジネスに特化した記事を合計600本以上執筆してきている。2018年1月から東京拠点に移し活動を続ける傍ら、現在は株式会社メルカリのインド人・外国籍エンジニアの就業支援。引き続きインドのマーケティング、調査、人材採用を強みとする。
Kayoreena
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