2011年03月10日の日記 vol.188

みなさんこんにちは!Kayoreenaです☆

 

皆さんお元気ですか?私は元気です。

 

…もう前振り何書いていいかわからないから(笑)とりあえず本題へ。

 

今日は、過去の日記を遡ってみたいと思います(今後もこのシリーズ、いろいろできそう)

今日は2011年3月10日の日記を振り返ってみたいと思います。

 

当時は、mixiが流行っていたため、友達だけの公開で、そこに不定期に日記を書いていました。

2011年3月は、私は北海道大学の3年生でした。ちょうど看護学の実習真っ只中で、ずっと北大病院にこもりっぱなしでした。

 

少し遡り2010年12月、この時期もクリスマスも何も関係なしに、容赦なく看護学実習のスケジュールが詰まっていました。

当時、実習は嫌だったのですが、私は一度も弱音は吐きませんでした。自分で選んだ道だったから。学費を払っているのは親だし、嫌だったら、辞めたら良いわけだし…みたいな思想で、無駄に正義感の強い学生でした。

(今思えば、もう少し愚痴とか吐いてゆるくやっていればよかったのにw)

 

そろそろ就職活動の話も出てくる頃でした。当時北大の看護学生は、多くが北海道大学病院に就職していました(今はわかりませんが)

その他でもだいたい有名な大きな病院に就職して、皆立派な看護師、看護師長に成長していきます。

私もそんな風に、病院に入って、キャリアを積んでいくのかな…。

 

お母さんは「北大を出たら、北海道で一番の看護師になれる」と言っていたな。確かにそうかもしれない。

無難に北大病院でも行こうかな。でも私は、看護師がやりたかったんだっけ…

世の中には、もっと私がやりたいことがあるんじゃないかな…

 

そんなことを思っていた時に、学内にある掲示板に「イオン1パーセントクラブ主催の海外学生交流参加者募集」という貼り紙を見つけました。

 

医学部内の掲示板に、医療系の話題以外のことが載ってあるのは本当に珍しいのですが、たまたまそこにあったのです。

 

内容としては、あまり詳しく覚えていないのですが「ホーチミンでタイやベトナムの学生と生物多様性について英語でディスカッションする」というものでした。本当、なんでこの掲示がうちの学科の掲示板にあったかわかりません(笑)

 

でも、私はこれを見つけた時「これに行きたい」と強く心が震えたのです。

 

私が海外に興味を持ったきっかけは、中学生の時に、生徒会長としてタイの奨学金活動に関わり(この話はまた今度)ボランティア活動を通じ、途上国の貧困や教育格差に疑問を持ったときだったことを、思い出しました。

 

自分は、そういう問題を、大人になったら解決できるような人になりたいと思っていたはずなのに、気づいたら、看護師として病院でキャリアを積むことを選ぶようになっていました。

もちろん、それも間違っていないけれど、もっと他にできることがあるのではないかという気持ちが、この時膨らんできたのです。

 

とりあえず、応募締め切りを確認すると、明後日でした。

まだ時間がある。応募してみよう。

 

志望動機、自己推薦書、他己推薦書…いろいろあるけど、とりあえず先生に推薦書を書いてもらいに行きました。3年生末、超看護実習が忙しい時期に「海外の学生交流に行きたいから、推薦書を書いてください」と看護の先生に言いに行ったのです。

 

「大角さん、それは看護実習と関係ありますか?」

「ないです」

「じゃあ、どうしてこんな忙しい時期にやっているの?」

 

そんな会話を、先生と交わしていました…

 

結果はどうだったのでしょうか。応募をしたのは、2010年の12月。

これから下記に載せるのは、当時2011年3月10日の日記です。

 

昨日一日は、私にとってとても濃い一日でした…
なんだか忘れてしまいたくないことだったから、書き留めておこうと思います。

昨日北大の留学センターから電話がありました。
中身は「3月13日からイオン1パーセントクラブ主催の海外学生交流でベトナムに行ってほしい」というものでした。
実は以前応募していたのですが、選考はとっくに終わっていて私はいけないはずだったのですが、急遽欠員が出たみたいで、私にチャンスが回ってきたのです。
すっかり忘れていて、でもびっくりして、私はバイトとかいろいろ入っていたので、とりあえずいろんな人にメールして変わってもらえるようにお願いしました。
そして推薦書を書いてくださった先生にお礼しに行きました。
先生には病院実習中にいきなり推薦書をお願いして、かなり時間のない中で書いていただいたので、本当に感謝していました。
実はなかなか推薦書を書いていただけなくて泣いて懇願までしました(笑)

しかし、

 

結局参加できないことになってしまいました。

 

やはり急な参加決定ということで、事前研修が十分に受けられていないこと、事前に参加者同士とのコミュニケーションが取れないことや、私自身が英語スキルに十分な自信がないということ…

まあ、一番の理由は航空券が取れなかったということですが(笑)

なんとなく非現実的な電話だったから、いけないってわかったら、まあ、そんなうまい話はないよねって思ったし、

でもすっごい嬉しくて、先生にお礼に行くときは本当に晴々した気持であったのは確かでした。

もしイオンの社員の人に「どうしても行かせてください!」と電話すればいけたのかな…なんて思ったり。でも自分は欠員要因のレベルだし、しかし補欠候補まで自己推薦書は通ったのかとか…

いろいろ考えたのですが、一番感じたのは、自分は、自分のスキルを生かし、海外に関わる活動がしたいのだということでした。
今回の学生交流はホーチミンでタイやベトナムの学生と生物多様性について英語でディスカッションするという内容で、実際に自分のやりたい夢とかとはかけ離れていますが、他国の人との交流が自分の視野の拡大に広がるから、どうしても参加したかったのです。 

 

今までいろんな国に行って、いろんな人や文化と触れ合うことはしてきたけど、汚い部分や危ない部分は直接目の当たりにはできなかったし、自分主体の訪問だったから、一度はボランティアや派遣で行ってみたいと思ったのです。

 

つかみかけたチャンスがなくなってしまったのが本当に悔しくて、でも自分が書いた自己推薦書や志望動機が間違っていなかったのだと、それだけでも十分な収穫なんだと言い聞かせています。

 

私の学科は忙しいから、実習でいっぱいになり、今できることに挑戦するチャンスを見失いがちになってしまう。

そうやって私は3年間過ごしてきてしまったのだと感じてしまいました。

 

振り返ってみて、この3年間、自分の夢に向かってなにかやってきたのかな? 

 

初めてチャンスを逃して、自分は何もやってきていなかったと痛感してしまい、落ち込んでしまいました。

でも、自分のこの悔しい気持ちは確かなものであり、なにがしたいのかはっきり分かりました。

 

大学で看護管理やキャリアや勤務体制とかいろいろ学んでいると、それに自分がどのように適応するか就職を考えるが、私はそういうのを目指してこの学科を選んできたのではなかったと思いだしました。

自分の目指す夢は就職してかなえられるものではなく、そこからさらに経験が必要であるから、今はじっと学ぶ時期なのだと思うけど、周りで夢をかなえている人を見るとすっごい焦る。
今気づいてよかったと、いちいち後悔しないで前を向こうと思う。

私は3年間無駄にしてしまった気もするけど、後1年はまだ残されているし!大学受験だってまともに受験勉強したのは後半の4ヶ月くらいだし!(笑)

なんでこんなこと書いたかというと、後輩には同じ気持ちを味わってほしくないから。大学ってすごい遊べるところだけど、社会に出る前の最後の猶予期間であること、そこで考えて行動することが、将来の自分にとても大事であると思うから、自分を考える時間を作ってほしいなって思って。

 

実は、この1日後に震災が起こり、この海外派遣事業じたいが中止になったのです。

当時、私は凄く悔しい気持ちでいたので、全てが吹っ飛んでいき、ポカーンとした気持ちになってしまったことを覚えています。

大きな大きな悲しみに触れ、でも、だからこそ自分のやりたいことに全力で挑戦しないといけないのだと思い直しました。

 

そこから大学4年生になり、私はESSに入りました。就職先も北海道ではなく、東京にしました。どんなに実習で忙しくても、18時までに課題を終わらせて、18時半からのサークルに参加して、1年生と一緒に英語をやりました。余った課題は深夜にやりました。意外とできるものです。

 

この当時の日記を読み直すと、本当にあのときのことが鮮明に思い出されます。多分、この掲示物を見てなかった、今の私は本当になかったと思います。

最後の1年でできた、当時入学したてだったESSの大切な後輩たちが、今年大学院を卒業して就職します。本当に感慨深いです。

 

表現が大げさかもしれないけど、人生って本当にちょっとした瞬間やきっかけで、大きく変わっていくんだなーと思います。

うまくいったりいかなかったり、いろいろなことはあるかもしれませんが、好きなこと、全力でやる人生を.。

 

そんなことを伝えて、今日は終わりにします(^o^)

 



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KAYO OSUMI

函館生まれ 北海道大学医学部卒。2016年9月よりインドの現地採用で就業。当時よりインドに進出する日系企業向けに、インド現地の話題やビジネスに特化した記事を合計600本以上執筆してきている。2018年1月から東京拠点に移し活動を続ける傍ら、現在は株式会社メルカリのインド人・外国籍エンジニアの就業支援。引き続きインドのマーケティング、調査、人材採用を強みとする。
Kayoreena
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3 件のコメント

  • 大角さん! 看護師を目指していた??の??
    私の愛妻も 実は看護師!! でも 看護師になったのは・・・娘が2-3歳のころ 確か2年制の正看護師学校(済生会系)へ入ってからだから・・・35歳を超えてからのチャレンジでしたね・・・・それまでの本業?は YAMAHAのピアノ講師さん。。
    看護学生時代も大変(支えた私たち家族も含めてね・・・)でしたけど、一番つらい時期は、総合病院へ勤めてから! 若い看護師にまじっての 看護や夜勤などで ミスの連続で 泣いてましたよ。なので 今は 別の病院で パートタイマーとしての看護師人生を桜華?してますね。。。 でも・・ 大角さんも すごい!と思うけど うちの愛妻も 凄いよね(笑) 続編を期待してます!!

    • そうなんですよ。最初は国境なき医師団的なことやろうかなと思っていたのですが、社会人になっていろいろ考え方が変わりやめました(笑)だから看護師免許持ってるんですよ。うけますよね(笑)一度社会人経験をした女性が看護師免許を取得する人も多いですよね。続編も期待していてください^^いつもありがとうございます!