23歳で塾を経営する新井くんのカコ、イマ、ミライの話 vol.122

こんにちは!Kayoreenaです(*^^*)

今日は一段と冷え込んでいて、寒いです。。

さて、今日は昨日紹介させていただいたミライプレイスWithdomの代表をやっている「新井くん」の紹介をします。

一番奥にいる全身白服の人が新井くん(これが彼のトレードマーク)

今日はじめて記事を読む人は、ぜひ昨日の記事から読んでみてください(でないと新井くんがどんな人かわからないと思うのでw)

121 高校生がシンギュラリティについて考える

新井くんは、まだ実は23歳。

人は年齢で判断するものではないですが、社会人でいうと1年目の年に当たるので、社会で言うとまだまだ若い部類です。

そんな彼はいま、自分で「マナビの場」を作り、中学生や高校生に新しい価値を提供しています。

彼は自分で会社をやっているので、一人の経営者です。

自分たちで物件から探し、どういうサービスを提供して、どうやって広げていくか。毎日試行錯誤しているのではないでしょうか。

新井くんのそのバイタリティはどこから??ということで、今回は新井くんの色んな話を聞いてみました。

 

 

子供時代はとにかく怒られてばかりでした。

「新井くん、子供のときはどんな子だったの?」と聞くと、まずはじめに返ってきた答えが意外にも「めっちゃ怒られる子でした」とのこと。

「よく廊下とか走ったり、授業中席を立ったり、忘れ物したり。怒られていました。先生には「どうしてそれをしてはいけないのか」という話をよくされましたが、ずっと繰り返していましたね(笑)

ふと興味が出てきてしまったことは、とりあえずやってしまうんですよ。そして「あいつは何を言っても聞かない」という感じで半分呆れられ、半分面白がられていました。あ、そういえば友達もあんまり居なかったですね。全然気になりませんでしたけど」

怒られることは怖かったりしなかったの?

「それはなかったですね。」

「…あ、そういえば、僕、小5の時いじめられていたらしいんですよ。でも気づかなくて普通に過ごしてたんです。」

「え?気付かなかったの?笑」

「はい。それで、友達が教えてくれたんですよ。「お前はどうして普通でいられるの?」と。どういう意味って聞いたら?「お前、クラスでいじめられているよ」と教えてくれたんです。「あ、そうなんだ」という感じで。でも気づいたらなくなっていましたね。」

それは、子供ながらにしてなかなかな鈍感力ですね(笑)既に大物の予感。。。

「あ、ちなみに、子供の頃から算数はすごく好きでしたね。小学生の時は100点以外とったことなかったです。」と、小さな自慢も教えてくれました。

 

中学ではじめてビジネスと出会う

中学生に入ってからは超部活っ子でした。当時は野球部。めちゃくちゃ頑張っていました。

それと同時に、いわゆるビジネスというものに触れたのも、この時が最初です。

当時、ゲームの付属品を買うのが流行っていたんですよ。だいたい一つ4000円位。皆が休み時間の度に集まって、どんなやつがどこで売ってるかって話し合っていました。皆凄く欲しかったんです。

ある日、その付属品が800円でネットで売ってるところを見つけてしまったんです。これ、みんなが欲しがってるやつだ。しかも800円ってことは…。

クラスのやつらに「3000円でもし売ってたら欲しい?」って聞いてみたら「欲しい!」っていうので、800円でネットで買ったやつを3000円で売ったんです。

みんな「マジでいいの?」と言って喜んで買ってくれました。なので僕は「塾の友達とかにも勧めてみてよ」と宣伝し、結果、中学2年生の時点で10万円くらい儲けました。

ソレ立派なビジネスだね!新井くんの「安く売っている場所を知っている」という価値がお金にかわった訳だね。

それ、お母さんは心配しなかった??笑

親にも正直に言っていました。当時、800円のものを10個仕入れたので8000円借りたんです。

でも10000円にして返すからと、きちんとやることも説明していました。

大丈夫?とも言われましたが、でも10000円で返ってくるならまあいいか、という感じもありました。

その10万円で洋服を購入し、また同じようにやろうかと思ったそうですが、自分で服を着たりして、気づいたら10万円はなくなってしまったんだとか(笑)

 

夜の1時2時まで塾に通ったこともあった

中学の時は3年から、受験に向けて勉強を頑張りました。

当時、「いが塾」という個人塾に通っていたのですが、そこではめちゃくちゃ難しいテストが出され、「解けるまで帰ってはいけない」というルールだったのです。

最初は夜の1〜2時くらいまでできるまでやっていました。

ひどい子は朝の6時とかまでいるという話も聞きました。

でも次第に思考能力もついてきて、だんだん夕方の6時位に帰れるようになってきたんです。そうなるまでがめちゃくちゃ大変で。

しかし、そこでの培った忍耐力やできるまで考えつく力は、今でも生きていると思います。

中学生が夜中の1〜2時まで勉強って…かなりハードだね。挫折したとか、つらい経験だったという意識はある?

「挫折は一度もなかったですね。僕、自意識過剰なところがあって。例えば、野球部に入ったら本気で「野球選手になれるんじゃないか」と、僕は絶対できると、思うんです。大きな失敗とかもしたことないです。認識しないからかな?」

ここでも新井くん独自の感性が感じられますね。

 

 

新井くんが日本大学を選んだ理由

高校のときは「部活5割、数学5割」の生活を送っていたという新井くん。

「数学5割」と言ってしまうほど、数学は本当に好きなんだとか。

「数学はとにかく好きでしたね。朝から晩まで数学できちゃいます。高校の朝読書とかも、数学のチャート式でした。」

受験生が最も嫌いな教科としてあげる数学を「大好き」と言っちゃう新井くん。どうしてそんなに数学が好きなの?

やればやるほどわからなくなるから。もっとやらないとわからない。だからどんどん考えてすすめていきたくなる。そんなところが好きです。」とのこと。

私も数学好きだったので、その感覚わかるなー!普通はあんまり理解されないけどね笑

当時、数学と物理が偏差値70を越えていた新井くんは出身高校から「初の早稲田大学が出るか」と期待されたとのこと。

そんな中、出身県である愛知県が推薦する研究所に見学に行ったときのこと。そこで初めて核融合化学と言うものに出会う。

「核融合は成立しておらず、今後100年位かけてエネルギーを作るために研究をする」という話を聞き、そのスケールの大きさに感動した新井くんは「核融合化学がやりたい」と即決。帰って調べてみると、日本で核融合化学ができるのは大阪大学日本大学だけだったという。

いろいろ調べて日本大学にしました。

大阪大学は国立大学なので、文系科目も試験科目にあったのですが、僕数学と物理以外は偏差値40くらいだったんですよ(笑)あと、研究室の内容としても、大阪大学は少し特殊だったので、日本大学がピッタリでした。

2月くらいには愛知県から上京していましたね。受験終わる前から「絶対受かる」と思っていたので。」

うん、普通は合格がわかって4月から上京するものだけどね新井くん。さすがっすね笑

 

 

初の塾講師のバイト。全国300の塾に電話をかける

上京して始めたのが塾のバイト。当時一コマ1800円という時給と茶髪可という条件に惹かれたんだとか。1年目は大学での教養とバイトの掛け持ちをする生活。学校が終わり、研究所に行って、中にいる院生に核融合化学の話を聞いて、嬉しくなってバイトに行くというサイクルが生まれていたんだとか。それがとにかく楽しかったと話す。

そんな中、当時バイトをしていた塾の方針が変わり、金儲けをメインにする方針に。「それは違うのではないか」と考えた新井くんは「そもそも良い塾とは何だんだろう」と思い、なんと全国500件ほどの塾の電話リストを作成し、電話で聞いてみようと試みた。

500校の内実際に電話をかけれたのは300位。そのうち凄く丁寧に返してくれたところは2校。実際に見に来てもいいよとも言ってくれたところもありました。凄く今でも感謝しています。

その時は、良い塾とは何か答えはわからなかったのですが、達成感はすごくありました。その電話かけの途中で、僕が初めて校舎を持つきっかけをくれた人と出会うことになるのです。

 

 

ある人に出会って3日後に大学をやめる。

知り合いの紹介で出会った大濱くんの登場により、新井くんの進路は劇的に変わる。大濱くんはちょうど武田塾市川校を経営しており、初めて会った新井くんに対し「自分たちが作りたい世界はこういうものだ」と話をしてくれたんだとか。塾でバイトをしていた新井くんは、以前に「面白い塾らしい」と武田塾の話は聞いていて、大濱くんの話にも強く共感。そこで「理系の先生が足りないから」と講師として手伝うことに。

大濱くんの話はさらに面白く、初めてSEO対策の話やWEBマーケの話を聞き、興味を持った新井くん。出会って二日目、大濱くんが「今度、武田塾の津田沼校を新規でつくる」という話を持ってきた時に

「僕にやらせて欲しい」

とすぐに立候補したという。

大濱くん:「新井くん、でも学校あるでしょう」

新井くん:「ちょっと考えさせてください。」と。

1日悩み、なんと大濱くんと出会って3日目には「学校をやめてやります」と伝えていたという。

そこまで大濱くんに共感したのはなぜ?

正直、具体的な話はあまり覚えてないんですけど、 「1教室のことだけ」じゃなくて日本の教育をより良くしたいっていうスケールに共感したんだと思います!。あとは、純粋に「教室を持てるチャンスが目の前にある!」っていう思いでした(笑)」

あれ、そういえば核融合化学は?

「理論物理は紙とペンがあれば出来ることに気づいたんです。わざわざ金払ってやる必要ないし。やりたければ後でもできるかなと」

両親は反対しなかった?

「はじめ、休学しようかなと報告したんですけど、そうしたら人生で初めて父親に怒られたんです。「中途半端なことするのはやめろ」と。怒ってはいたけど、自分のことをなんとなくわかってはくれているだろうと思っていました。退学を止められたわけではなく、怒られたのは「中途半だったこと」なので、しっかりやめることにしました。」

その決断力すごいね!!悩まなかったの?

「超悩みましたよ、1日」

そうです。普通の人はそこでもう少し悩むけど、そこで即決即断できるのが新井くんなのかもしれません。

 

 

週5のビラ配り。繁忙期の問い合わせは250件に!全国1の結果を出す。

大学2年の7月に退学。10月からは晴れて津田沼校をスタート。目標は本部の生徒を基準に200と設定した。でも、お金稼ぎが目的ではなく、すべてを説明した上で武田塾津田沼校を選ぶ生徒を200名集めるということが目標だったと話す。

当時、アドバイザーに最も効果的な集客の方法を聞いたら、ポスティング、ビラ配り、口コミ、折り込みだと教えてもらったんです。

折込、金ない。口コミ、生徒いない。ということで、できることはポスティングとビラ配り。なので、これを週5回やりました。

週5で?!それは大変。辛くなかったの?

ソレ以外、知らなかったので…

でも、毎日楽しかったですよ。できないことを認識することが楽しかったです。最初とか、15枚とかしかビラ配れないと「なんで15枚なんだ」って言われてたんですよ。そういう大濱さんも、30枚とかしか配ってないんですけど(笑)

でもそこで考えるんです。配り方かな?雰囲気かな?そして改善してみるんです。それを繰り返してると、できるようになるんですよ。そうして解決したら、さらに新しい問題が見えてくるんです。それが楽しかったんです。

まるで「数学が好き」と語ってた新井くんの話とソックリ。

そんなことを繰り返しているうちに、予備校の繁忙期と言われる3月4月の問い合わせが250件に。これはかなり多い数字。

面談力とかなくて、4月末の生徒は100人位だったんですけど。でも楽しかったですね。」いやーこれは本当に、すごい数字!!

 

目標はもっと上に持ちたい。そんな気持ちが次の行動につながる。

このあたりから、「津田沼を仕切ってる新井ってやつはどんなやつだ?」「新井はまだ20歳らしい」と塾のオーナーグループ内で噂に。

集客や大人数の運営に関して、聞かれた質問には新井くんなりにしっかり答えていたという。

正直、自分について騒がれている環境はあまり好きではありませんでした。なぜなら、自分が目標としていたことを達成できていなかったからです。

周りからみたらこの短期間で生徒数100人と言うのは本当に素晴らしい実績ですが、彼が目指していたのは本校の200人だったため、まだまだ満足していなかったのです。

目標に向けて淡々と頑張る彼としては当たり前の能力」も、他の人からしたらかなりズバ抜けた才能に映ったのではないかと思います。

しかし、津田沼での校舎運営は新井くんがかつて持っていた「良い塾とは何か?」という定義を少しだけ明確にしていきました。津田沼校と同時に、教育のWEBサービスや人材サービスも始めた新井くん。その中で新しい気づきが生まれていったと言います。

塾業界は凄くいいところ、教育業界も凄くいい。いろんな塾の校舎を回ったのですが、「本当にいい!」と心から思える校舎に、なかなか巡り合えなかったのです。なので、

じゃあ自分たちで作ろう!という結論になりました」

そのシンプルな発想がなんとも新井くんっぽい。こういう経緯でWithdomが誕生していったのです。

 

2016年9月、自分たちが作る「新しいマナビの場 Withdom」がOPENする

物件探しや講師集め、コンセプトづくり等、さまざまな段階を経て、2016年9月にWithdomはオープンする。

ここで活躍する講師はもともと新井くんの校舎に居た生徒や講師だったりする。みんな新井くんの思いに強く共感している。

ここで実現したいこととして「キャリア教育」という言葉をあげた。

僕はまず、キャリアのことを教える予備校、と言うものを目指しています。

結局最後見られるのは、学歴ではありません。確かに学歴は努力した証。でも「君は東大だからいいよね」という人を判断する基準にはなりません。

高校生や学生は圧倒的に視野が狭い。それは日本の教育は受け身であることが多いからです。「自分は何がしたいのか?」ということを考える時間がない。でも絶対に将来を考える上で選択肢はあったほうがいいですよね。

学歴ではない。でもまだ、学歴社会である現状もあるよね。

そんな問を投げかけると「学歴ではない、そうあってほしい」という自分の思いも話してくれた。

5教科の成績だけでは計り知れないその人の魅力ってあると思うんです。

たとえば、国語も数学もできないけど、めちゃくちゃ友達のために行動できるやつがいて、誰もがそいつを好いている、って言う人、たまにいるじゃないですか。ちょっとデブだったりするんですけど(笑)

でも日本の基準に満たないという理由で、そういういいやつの将来の可能性がなくなるというのは嫌なんです。

これから学歴だけでは判断されなくなる未来、いわゆる人間力が問われてくる時代に、その重要性を教育で生徒たちに伝えていきたいと新井くんは言う。

 

23歳経営者がいま思うこと

 

実際に5ヶ月くらいやってみて、どう??

「僕自身の考えも、以前と少しかわってきたんです。

学歴が大事ではない、もっと社会を見よう」というのが強かったのですが、実は5教科の勉強をしっかりしていれば、社会のこともしっかり学べるんです。学歴か社会か、そんな風に偏らなくてもいいということに気づきました。

大学受験はしたくなければしなくてもいい。でも、大学受験するための受験勉強は大切です。やりたくないことをやり抜く力、それを面白く捉える力、いろんなことが身につきます。

本来の勉強の本質をわかれば、5教科の科目をしっかりやることで学びはあります。すべては捉え方次第。先を見据えて取り組めば、どんなことも意味のある学びに変わるのです。

新井くんのWithdomは、何か新しい概念を伝えたり、難しいことをしているのではなく「どうして私たちは勉強するのか」という基本に一緒に戻り、しっかり目的を共有することで、生徒たちの自走する姿勢を生み出す。それは実は、物事の基本であるが、目的が明確になっていない生徒が実は多かったりする。

なにより、ここに通っている生徒は皆、成績が上がっているのだという。

生徒たちが自分たちで考え、なぜ勉強するのかということを明確にするからです。ただただ時間を使って効率よく勉強することが成績につながるのではないと、改めて感じました。

 

新井くんの今後の目標も聞いてみました。

「まずはWithdomを200人にしたい。武田塾の時に達成できなかったので。

そして、教育機会の格差をいうものをなくしていきたい。予備校だと、まだお金がある子しかこれません。本当に通えない子にも、なにかできることはあるのではないかと思います。

集客の目標もありますが、理念に向かっての行動を大事にしたい。その目標にチームとして向かっていきたいと思います。

新井くん、長期的な目標っていうのもあるの?

「一応30歳までは考えていますね。僕、30歳ってめっちゃおっさんだと思うんですよ(ちなみに私は27歳w)

だから若者のうちに何か成し遂げたくて。一応考えてはいます。」とのこと。

だいぶ世の中の人を敵に回したかもしれませんが、おそらく新井くんは30歳になって30歳が全然おっさんじゃないことに気づくと思うので、どうか見守ってくださいw

子供が社会を知らなさ過ぎて、将来の夢が圧倒的にないところは問題かなと思っています。それは、きっと将来にどんな選択肢があるかわからないから。今のうちから知ることできれば、可能性はは大きく広がるはずです。

そして、もっと皆が教育に関心を持つ世界を作っていきたいです。「子供が居ないから関係ない」ではなく、みんな、子供の時に受けてきているものなのだから、次の世代のためなる教育を、大人たちが作っていけたらいいなと思っています

今回会った新井くんは、津田沼校にいたときよりもっと言葉がクリアになっている気がしました。きっとすべてを自分たちで考え、作り上げているからなのかなと思います。

新井くんの他の人とは違ういい意味での鈍感さ、思考のシンプルさ、行動力は見習うところがたくさんありました。そして新井くんからは全然ネガティブな言葉が出てこないのも特徴的でした。

それぞれのステージで出てきた課題を一つずつ解いていき、そしてそれを徹底して生徒やチームに還元する姿勢は本当にすごいし、これからも頑張ってほしいなと心から思いました。

これからも新井くんは人生の難問をワクワクしながら解いていくことでしょう!がんばってください!

 

最後に、新井くんのインタビューを終えて、何か一言ありますか?と聞くと、「そうですね。ここまできいてくれた大角さん、ありがとう!」とのことでした。こちらこそありがとうーー!

参考リンク

ミライプレイス Withdom

Withdom 武蔵小杉 生徒のブログ

 

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KAYO OSUMI

函館生まれ 北海道大学医学部卒。2016年9月よりインドの現地採用で就業。当時よりインドに進出する日系企業向けに、インド現地の話題やビジネスに特化した記事を合計600本以上執筆してきている。2018年1月から東京拠点に移し活動を続ける傍ら、現在は株式会社メルカリのインド人・外国籍エンジニアの就業支援。引き続きインドのマーケティング、調査、人材採用を強みとする。
Kayoreena
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