ちょっとした違和感 vol.476

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今日も仕事が終わり、品川駅に向かった。

金曜夕方。皆、金曜夜は飲みに行っているはずなのに、それでも人が多い。

 

私が始めて東京に着たのは、品川駅だった。就職活動で初めての試験会場が品川だったから。

 

当時は人の多さにワクワクしたものだったけど、今となってはワクワクどころか、うんざりすることが多い。

 

今日はそんな夕方の一コマ、はっとすることが起こった。

 

 

それはエスカレーター付近で起こった。

 

エスカレーターに並んでいると、そこに横入りしてくる人がいた。

その人は自転車を押していて、その後ろについていた簡易椅子に子供を乗せていた。4歳くらいだろうか。

こういうやつね。

 

エスカレーターの並んでいる列に、自転車を押す男の人と、その自転車に乗る子供が横入りしてきたのだ。

私は気にならなかったが、この自転車を押す男性は、その自転車を押したままエスカレーターに乗ったのだ。

自転車を45度位に傾けてエスカレーターの左側に乗った。子供は後ろの席に乗っている。

 

私はとっさに、違和感を感じた。

あ、これなんか危ないかも」と。

 

そのまま列の動きに流れるまま、誰も彼に注意するわけでもなく、大きな自転車と子供を押したままエスカレーターに乗ったが、

私はなんとなく嫌な予感がして、後ろに並んでいたのを、そっと右に移動したのだ。

 

 

すると、その瞬間。

 

その男性はエスカレーターに乗って3秒後くらいにバランスを崩し、エスカレーターで後ろ方向に向かって転がっていった。

 

まさに表現として「転がっていった」というのが正しい。

 

すると後列に続いていた人の上に彼の自転車が転がり落ち、ドミノ倒しのように人が後ろ方向に倒れていった。

 

エスカレーターに乗ろうとしていた人たちは悲鳴を上げて、落ちてくる人たちから離れる。

すごい音を立てて、大人たちが絡み合いながら階段から落ちていく。

 

危険を察したエスカレーターは奇妙な音を立てて停止した。

 

そして最後に地面に皆が叩きつけられた時、一番声を上げて泣いていたのは、4歳の子供だった。

 

私はその生々しい光景を、彼と同じ視線でエスカレーターの右側から見ていた。

私はその瞬間起こった出来事を見て、すごく怖くなって、動かないエスカレーターの階段を上まで駆け上ったのだ。

 

 

 

そのあとどうなったのかはわからない。

 

駅員さんが救護したのかな。

階段の角に頭をぶつけたりしたら、十分に出血や骨折は考えられる。

 

 

 

あの子供は、大丈夫だったかな。

 

 

 

だれも、死んでいないかな。

 

 

 

 

男性がバランスを崩しエスカレーターを落ちていくその瞬間、一瞬だけ私の左腕にぶつかり、

そのときの残った痛みが、その後数秒で起こった一瞬の生々しい悲劇を彷彿させた。

 

 

 

私は痛みによる死を意識することが苦手だ。

超高速のジェットコースターに乗れないことや、バンジージャンプは絶対に嫌だし、高速道路の運転も嫌いだ。

それは痛みによる死に恐怖を感じるからだ。

 

 

 

今日、一瞬、その恐怖を感じたことと、その直前にあった「なんか変かも」という違和感。

とても良いものではなかった。自分も巻き込まれていたかも知れない恐怖。一瞬だったけど、とても怖かった。

 

 

 

世の中には「なんか変かも」という違和感は、実は結構溢れていたりすると思う。

 

 

 

例えば、話をしていた友達が、いつもより元気が無いかもとか。

毎日おいしいと思っていたご飯が、あれ、なんか美味しく感じなくなったかもとか。

どうして皆、世の中の変化に無関心なんだろうとか。

 

 

人間関係でもいい。あれ、大切な人が、なんかいつもと違うかもと。

 

 

自分の人生でもいい。

 

あれ、自分は本当にこのままでいいのかな、とか。

 

 

 

 

人は本当は「自然に感じ取れる違和感」に気づいている。でもちょっとしたことだから、その違和感に無関心で、なんとなくいつもどおり過ごしてしまうが、

ことが大きくなって取り返しがつかなくならないと、その重要性に気づかない。

 

 

どんどんいろんなことが自動的になり、人の波に流され、周りに無関心になっていく先に、

人の感情の動きや痛み、本当に大切なことにも鈍感になってしまうのだろうか。

 

それはとても生きているとは言えない、危険だ。

今日品川駅のエスカレーターの光景を見て、そう感じた。

 

 

 

 

周りの違和感を感じたら、そっと声をかけてみよう。もっと人の痛みや感情に敏感になろう。

 

大丈夫ですか?

それは変ではないですか?

やめたほうが良いのではないですか。

進んだほうが良いのではないですか。

 

そんな小さな声掛けや関心が、ちょっとした違和感から救い、無関心による最悪の事態を救うのだと、思う。

 

左腕の痛みを忘れないうちに書いておこうと思った。

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KAYO OSUMI

函館生まれ 北海道大学医学部卒。2016年9月よりインドの現地採用で就業。当時よりインドに進出する日系企業向けに、インド現地の話題やビジネスに特化した記事を合計600本以上執筆してきている。2018年1月から東京拠点に移し活動を続ける傍ら、現在は株式会社メルカリのインド人・外国籍エンジニアの就業支援。引き続きインドのマーケティング、調査、人材採用を強みとする。
Kayoreena
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