みなさんこんにちは!Kayoreenaです。
今日はKayoreena India Blog特別編ということで、素敵なゲストの登場ですよー!
今回登場していただくのは、インドのプロサッカー選手 和泉 新(Izumi Arata)選手です。
新選手は現在インドサッカースーパーリーグとIリーグで活躍されているプロサッカー選手です。
インドといえばクリケットが有名で、サッカーはまだまだマイナーなスポーツとされておりますが、近年インドのサッカーは変化しており、
2014年には元イタリア代表FWデル・ピエロや元フランス代表FWトレゼゲなど多くの”元スター選手”を集め、華々しくインド・スーパーリーグ(ISL)がスタートしました。
以前からインド国内に存在したIリーグと比べ、外国人選手が多く所属するインド・スーパーリーグは、その運営方法を一部疑問視する声(インド国内の選手が活躍する枠が少ない等)もあるものの、インド国内のサッカー熱を高めたことは事実で、サッカー人気がインドでも高まってきています。
(Sportviaインタビューより)
インドの人気スポーツといえば一番はクリケットです。最新のFIFAランクでもインドは167位に沈んでいて、サッカー人気は決して高いとは言えない状況。和泉がこれまで所属していたIリーグがメディアで取り上げられることはとても稀でした。
しかし、ISLはすべての試合が19時キックオフで、インド国内では毎日ゴールデンタイムに生中継があり、露出の機会は比べようもないくらい増えました。
「新しくできたISLに関していうと、確かに優秀な外国人選手とプレーすることで、貴重な経験を積めるとも言えます。一方でIリーグの選手の半分もISLに参加できない状況では、犠牲があまりに多いといえます。
インドサッカーの将来を考えても気になりますし、今後のルール改善やブラッシュアップは必要だと思います。」【一部抜粋】
新選手はIリーグ、ISLリーグで活躍するインド人選手としてはすごく貴重な存在。さぞかしストイックな方なのかな…と思いきや、山口弁が混ざる日本語はとても親近感があり、多くの人に応援される理由がわかるな〜なんて感じました。
新選手はインド人の父と日本人の母との間に生まれ、幼少期から2006年にインドに行くまでは日本で過ごしており、日本語はペラペラ!(むしろ最初は英語のほうが苦手だったとか)
会場は日本食が出るレストラン富士をセレクト。
インドでは日本食を食べる機会が少ないだろう…と、今回のインタビューをセッティングしてくださった中さんからの温かいはからいですね。
今回のインタビューは前編・後編でお届けします。
前編では新選手のサッカー人生にフォーカスし、その生き方から学ぶ「夢をつかむ哲学」
そして後編では、日本・インドの故郷を持ち、現在はインドで活躍する新選手が考える「日本・インドについて思うこと」というテーマです。
新選手のサッカー人生から学ぶ「夢をつかむ哲学」
大角「新さん。今日はよろしくお願いいたします!
私がまずはじめに聞きたいなと思ったのは、サッカー選手って、誰もが子供の時1度は憧れると思うのですが、実際になるのすごく難しくないですか?」
和泉「実は小さいときはサッカーのことを知らなくって。
Jリーグができて、兄貴がサッカーを始めて、10歳の時に知ったのだけど、初めてプレーした時に「サッカーでプロになろう」っていうのは思い込んでたね。
でも小中で所属していていたのは島内で一番弱いレベルのチームだった。高校は少し強くなったけど、その後の国体の選考でも自分は代表に選ばれなかった。
そこで踏ん切りつけて高専に行くんだけど、結局、サッカーをやってたんよ。
レベルがあがったり下がったりしたけど、根底にある「サッカーがやりたい」というのは変わらなかったかな。その後、アルビレックス新潟に入って、本当にプロを意識するようになったかな」
大角「そこまでサッカーをやりたい理由というのはなんですか」
和泉「初めてプレーした時、そのときは何もわからないでシュートを決めたのだけど、すごい勢いで決まって、周りが「こいつすごい!」と褒めてくれたんだよね。それがすごく気持ちよくって、絶対にプロになろうと思ったね。
でも、サッカーを続けられたのは「周りの応援があったから」かな。
高専に進学した時に、その後の就職先も良かったし、もうこのままサッカーをやめようかなと思った時期があった。
そういう時に、しばらく疎遠にしてたやつとかから「新、最近サッカーの調子はどう?」って、何気なく連絡がくるんよね(笑)
「まさか新がサッカーやってないなんて、そんなわけないよね?」って。こっちの事情何も知らずに言ってくるんよ。
でも、そういう声が背中を押してくれた。自分がサッカーをしてる姿を、皆が求めてくれているんだなと。サッカーを続けるきっかけになったかな。俺、結構優柔不断なんだよね(笑)」
大角「結構自分では決断できないタイプ?」
和泉「自分では決定しているつもりなんだけど、今思うと、周りからの後押しがいつもある。兄貴とかどんな決断にも「いいんじゃない?」って軽いんだけど(笑)「あ、人生ってそんな感じでいいのかな」って楽な気持ちになれるんですよ」
大角「そこで終わってしまったら、今の新選手はいなかったわけですし、いろいろな人の存在が裏にあったのですね」
和泉「今の若い選手はプライドの高い人が多く、一旦何か駄目な事があったら「もうダメだ、やめよう」ってすぐ諦めてしまってるよね。
僕はそれは駄目だと思っていて、僕らのように「人に見てもらっている仕事」の人は、その数がどんなに少なかったとしても、諦める姿は見せては行けないと思う。その姿に影響を受けている人がいるのだから。
大事なことは「自分が輝ける場所を見つけ出す姿勢」それが結果サッカーでなくてもいい。でも「僕はもう無理だ」と自分で決めつけてしまうのは、すごく寂しいことかな」
2005年1月からアルビレックス新潟シンガポールに所属し、Sリーグでプレー。実はこの時に、一度目のIリーグからオファーを受けていたとのこと。
和泉「その時は契約1年目で右も左もわからず、シンガポールの先輩に、Iリーグからオファーが来たことを相談したら「あんまり信用しないほうがいいのでは?」と言われて(笑)当時のオファーは断った。
シンガポールの期間は短く、日本に帰国後は自動車工場で塗装工をやりがならサッカーをしていたのだけど、元々提示されていた条件とは異なっていて、このまま続けるか悩んでいた。
当時は、とにかくプロになりたかった。
日本のチームでは「君は素質はあるけど即戦力ではないから、この年齢じゃ取れない」と言われてしまい、プロになることの厳しさを感じたんよ。こんなにチャレンジしたい思いがあるのに、周りにチャンスがなければどうしようもないということを痛感した。
その頃はまだエージェントの制度があったから、活躍の場を求め、色んな国のチームにメッセージを送りまくっていたんよ。
大角「余談ですが、海外就職をするときも、色んな国に履歴書を送るんですよ。スポーツにおいても、海外のチームでプレーするためのきっかけとして、そのためのアクションが大事なんですね。」
和泉「もともとシンガポールでのプレーの経験があって、海外でやることの楽しさも知っていたから。英語は拙かったけど、見た目が日本人っぽくないっていうこともあって、馴染みやすかったというか。そういう意味では、自分はラッキーだったのかもしれないね。
そんな時に、再びIリーグからオファーを受けて。「こんな自分でもまた声をかけてくれるんだ」と、藁をもすがる思いで挑戦することを決めたんだ。」
大角「挑戦したい気持ちがある一方で、故郷である日本を離れるのは寂しくなかったですか」
和泉「それはもう、やっぱり日本は居心地がいいからね(笑)
家族や恋人も直ぐ近くにいてくれるし。故郷っていうのは、本当に大きなもんだよね。そういう環境って、普段は当たり前のことだから考えないことだけど、いざ「決断」のときになると、離れることが怖くなる。それは誰にでもある当たり前のことかもしれない。
でも、僕がさっき言ったことのように、諦める姿は応援している人に見せたくなかった。
シンガポールやインドは、日本と比べるとサッカーレベルがまだ低いから、プライドがあって「お金をもらってもそんな環境ではプレーできない」という人がいるかもしれない。
でも僕は、サッカーに挑戦し続ける姿を追求したいと思った。だからインドのIリーグに挑戦することを決めた。
こうやって「人の前に出る仕事」をしている僕たちは、応援してくれる人の存在を忘れてはいけないと思う。
僕とか、お金払って誰かのサッカーみたいなんて思わないですよ(笑)
時間とお金をかけて、僕達のサッカーを応援してくれるのだから、挑戦する姿勢、諦めない姿勢で返していかないといけないということを、僕は思うんです。」
大角「前編最後の質問ですが、新選手の夢をかなえる秘訣や、努力の方法って何か教えてもらえませんか」
和泉「「自分の評価を自分で決めない」ということかな。自分の評価は他人がするもの。「自分はこれだけやったのに…!」と思っていたら、どんどん苦しくなる。きちんとやっていれば、誰かが評価してくれて、それが結果となる。そこまで頑張ることかな。
夢は、追い求めるか追い求めないかはその人の自由。勝ち取ったから必ず勝利というわけでもないし、成功しなくてもその過程で得られるものは大きい。
ただ、自分で自分の限界をジャッジするのはもったいないと思うな。夢を本当に叶えたいなら、その障壁も乗り越えて、頑張って欲しいと僕は思うかな。」
大角「ありがとうございます!」
前編のインタビューは以上!
実際に第一線で活躍されている方のエピソードは、すごく刺激的でメッセージ性が強い。
いろんなことがあったなかで、自ら「自分の活躍できる場所」を切り開いていった新選手は本当にすごいなと思いました。
後編は、新選手の2つの故郷「日本」「インド」に対する思いにフォーカスします。インドの代表選手として活躍することを決断した新選手は、2012年に国籍を日本からインドへ。当時、どんな反響があり、どんなことを考えたのでしょうか。
KAYO OSUMI
最新記事 by KAYO OSUMI (全て見る)
- 名探偵コナン 過去最高の興行収入 地方×アニメの新たな可能性 - 2024-05-27
- メルカリインドの2年目を振り返る 2023年で起こった重要事項 #MercariIndia - 2023-12-17
- インドでウェディングフォトを撮影しました ー準備・衣装編ー - 2023-06-14
- 第6回インド出張 バンガロール編 してきたこと - 2023-06-08
- 水曜夜10時 ラジオ番組「Tabata Bar」スタートしました #タバタバ - 2023-04-16