どうして私は、海外で働きたいと思ったのか vol.307

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みなさんこんにちは!Kayoreena(@kayoreena1021)です!

 

 

たまーに鍵付きで、私のブログによく遊びに来てくれる人たちに、私自身のことを書いていきたいなと思ってはじめてみました。

 

テーマは「どうして私は、海外で働きたいと思ったか」です。

私はたびたび、インドを選んだ理由→経済発展があるだの、英語を使うだの、グローバルパーソンになれるだのいろいろ書いてきましたが、

そもそもなんで、海外で働きたいの?っていう話をしたいと思います。



私が海外に興味を持ったのは、中学生の時でした。

 

きっかけは中学時代の生徒会長

 

当時は、人より正義感が強く、とにかく真面目。

そんな形で、生徒会長のキャラにピッタリで、1年生の時から先生に推薦されました。

 

そこで私は生徒会長になりました。

 

その当時、生徒会を担当してくれていた先生は、東南アジアへの青年海外協力隊の経験がある人で、先生はよく、協力隊時代の話を話してくれました。

当時先生は、現地でドライバーを雇っていたという話。

私は「なんて贅沢な暮らしをしてるんだろう」と、正直余りいい気持ちじゃなかったのですが「日本人が雇用を生み出してあげることも一つの仕事なんだよ」と言った先生の言葉を強く覚えています。

今だったらその意味はわかりますが、人を雇う=こき使う、というイメージで当時は理解できなかったんです。

その他にも、ストリートチルドレンの映像とかも見せてくれました。

この子達は明日も明後日も、いつ怪我するかわからないでこぼこの道を、裸足のままで歩き、ゴミの中から換金するものを見つけて、生活していくのですか」…

その姿は、まあまあ衝撃的でした。

 

そこで生徒会でも、東南アジアの貧しい子どもたちに向けた奨学金活動をやることになったんです。

実際に奨学金で支援した 子どもたちからは手紙が届きます。

大きくなったら、お医者さんになりたいです。僕達のために支援してくれてありがとう。勉強ガンバります」と。

へーお医者さんになりたいんだ…

私は、当時言われるがまま、とりあえず勉強を頑張って、それなりに結果も出し、生徒会長もやって、周りの評価は得たいだけ得ていたけれど、目標も夢も何もありませんでした。

中学生になると、小学生の頃まで描いていた夢が、どうやら叶いそうもないという現実に、少しずつ気づき始めたんです。

例えば、歌手になりたいとか。サッカー選手になりたいとか。

サッカー選手だなんて、地区予選すらまともに勝てないのに、なれっこないじゃん。歌手だって、こんな田舎からじゃ無理無理…。

大事なことはテストで点数を取って、いい成績を残すことです。だから勉強をしてください。

私はそういう風に言われて、疑わずにソレだけをやっていました。本当に当時、なんにも考えてなかったんです。

 

そんな私にとって、アジアの貧しい地域の子供達が、日々の生活に困りながら生きている姿や、必死に勉強したいと願っている姿は、まあまあ強く印象に残ったんです。

 

相変わらず、夢も希望もないまま過ぎ、気づいたら高校3年生に。

行きたい大学もない、やりたいこともない。どうしよう…。

 

私って、本当に大した人間じゃない。実現したい世界もない…。

どうせ自分自身が何かやりたいこともないし、だったら、自分を一番活かす方法として、誰かの役に立つことをできるようになりたいなと、考えたんです。

 

じゃあ、誰のために役に立てる人になりたいんだろう・・・。

 

そんなことを考えて思いついたのが、

中学生の時に見たアジアの子どもたちのことだったんですね。

 

学校行きたいって言ってた。勉強したいって言ってた。じゃあ出来るようにしてあげたいな。そうしたら将来、彼らはやりたいことができるだろうし。

私のように、特にやりたいことがない人間のほうが、教育をしっかり受けて、それなりのことを学んでいる。なんて不平等なんだろう。

彼らのために何か私にできることがあったら、してあげたいな。それが私のいる役割なのかな。

 

そんなことを思い、北海道大学医学部で看護師免許を取得、一時期は海外の協力隊を目指したんです。

 

その後はいろいろ考え方が変わりました。

まず、人に与える人になるためには、自分がしっかり自立していないといけないという意識です。

ただ技術を持って提供していても、私自身がご飯を食べられないとダメなんです。

そのためには「ビジネスで価値を生み出す」というのが大事だという考えに行き着きました。

 

私が海外のフィールドにこだわる理由は、現場にしか答えはないと思うからです。いくら外国のことを想っていたって、日本でぬくぬく生きていたらなんにもわからないですよね。

私は机上の空論が嫌だったんです。だから若いうちに、自分の目でどういうことが世界で起こっているか見たかったんです。

 

ただし、先進国の私達が「なにかしてあげる」という自分の考え方も大間違いでした。皆それぞれの生き方があり「自分は恵まれていて、相手は恵まれていない」なんていう考え方もお門違い。

そして何より、何かの社会問題についてアプローチし変革を起こすということは、本当に本当に難しいことだということです。

一歩ずつ積み上げていくしかありません。でもそれが重なれば、大きな変化に繋がるでしょう。

 

私がブログを続けられる理由は、こういうモチベーションが根底にあるからです。

いつか私が、このブログを通じて大きな影響力を持った時、何か学生のときの自分が想っていたことが実現できるんじゃないかって、少し信じているんです。

とりあえず、現場まで足を運ぶことはできました。26歳。遅かったですが。

今はブログを書き、働きながら、まずはしっかり自立した人になりたいと思っています。

 

…こんな感じです。

 

 

今後も、引き続きKayoreenaの応援をお願いいたします。

 

以上、大角でした!

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KAYO OSUMI

函館生まれ 北海道大学医学部卒。2016年9月よりインドの現地採用で就業。当時よりインドに進出する日系企業向けに、インド現地の話題やビジネスに特化した記事を合計600本以上執筆してきている。2018年1月から東京拠点に移し活動を続ける傍ら、現在は株式会社メルカリのインド人・外国籍エンジニアの就業支援。引き続きインドのマーケティング、調査、人材採用を強みとする。
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